〝不遇や障害〟を生き抜く価値に変えた戦国武将・山中鹿介 後世に評価され勝海舟に愛された理由【大竹稽】
障害があるままに自由になる 第3回 〜山中鹿介の障害〜
鹿介の最も有名な言葉が、「願わくば、我に七難八苦を与えたまへ」です。尼子氏再興のため、失敗と再起を繰り返しながら戦う鹿介の眼前には、障害しかありませんでした。しかし鹿介はさらに一層の障害を求めて、神に祈りました。結局は彼の大望、主家再興は叶いませんでしたが、彼の生き様はこうして私たちにまで届き、そして私たちを魅了しています。
次から次へと襲ってくる障害。一般的には忌避される「障害」を、鹿介はなぜこのように望んだのでしょう。
それこそ「忠義の士だから」。確かに。戦国時代は、忠義など相当に安い時代だったでしょう。だからこそ、彼は武士の鏡としてその生き方が後世まで高く評価されているのです。
しかし、さらに私はもう一つ、別の価値を認めます。「自由」です。
謀略も背信も逆心もなんでもござれの戦国時代。かつては「悪」だとされたことも許されてしまう、いわば「なんでもできる」時代でした。だからこそ、「自由」を見損なってしまい自分の首を絞めてしまった武将たちも多いでしょう。本来の自由とは、生きる道を自ら創造することなのです。
「なんでもできる」ことが自由なのではありません。自由と「無不可能(不可能が無い)」は、まるで意味が違います。
不遇に逆境に試練、窮地に崖っぷち、そして限界状況だからこそ私たちの自由が可能になるのです。もし、私たちがなんでもできる無不可能の存在だったら、「自由」など問題にもならないでしょう。
不自由がベースにあるからこそ、自由が可能になるのです。
何度やっても成功しないときなど、「もういい加減にしてくれ!」「もうやめた!」なんて思ってしまうのが、誰もがわかってくれる気持ちでしょう。しかし、そんな「誰もがわかってくれる」が、実は方便となり、自分を裏切ってしまうこともあるでしょう。このことを鹿介も知っていたのではないでしょうか。だからこそ、「我に七難八苦を与えたまへ」だったのだと思います。
「我に七難八苦を与えたまへ」の原点は大乗仏教の経典『仁王経』にあります。 「七難即滅七福即生」。苦難はすなわち幸福である、と説かれています。
障害がないことが幸せなのではありません。障害があるからこそ幸せになれるのです。私たちには、障害を自らの欠点ではなく、アドバンテージに変えてしまう力があるのです。
他人を蹴落とすのも自由。裏切るのも自由。そうしないのも自由。しかし、私たちは自分自身を裏切ることだけはできません。それをしたら、自由など消滅してしまいます。ただし、私たち人間とはともすれば挫け易い。そんな私たちだからこそ、山中鹿介はいつもそばで見守っているのかもしれません。
文:大竹稽
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